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徒然なる備忘録

他人に言えなくもないけど特別語る相手もいない趣味についてやりたい放題したいブログ

ゲームの時代設定について思うところ

どうでもよい話

サクラノ詩ブームのほとぼりも冷めてきたのか、それともつり乙最新作の影響でちょっとしたNavelブームが起こってるのか。最近、俺つば感想の記事へのアクセス数がじわじわ伸びてきています。誰かに感想を読んで貰える嬉しさの半面、某ヒロインへの窮愛が書き連ねてあるポエムを見られる恥ずかしさもあったり(汗 やはり、一時の感情(テンション)というのは危険なものです。深夜テンションで書いた文章は後々読み返すと痛々しいものがありますし、衝動買いしたゲームも9割は積みますし…etc 

 

さて、なんちょか現象で暖冬な2015年の冬ですが、気が付くともう12月。はやーい!

というか全く実感が湧きません。私の感覚では、残暑が引いてようやく紅葉が見れる季節になってきたかなぁ、という辺りです。しかし、そう現実逃避していても季節は無情にも過ぎていきます。はい、もう冬なんですよ。

というわけで、12月といえば、メシアと名乗ったイエスを快く思わなかったユダヤ教徒によってイエスがはりつけにされてしまい、しかし3日後に再びこの世に受肉し西暦が始まったとされる復活祭の日(クリスマス)があります。

ちょっと早いですが、自分へのクリスマスプレゼント(という名目で、)あるゲームを買いました。

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Innocent Greyさんから発売された、カルタグラピアニッシモ殻ノ少女等のゲームがセットになったお買い得な一品。以前からこのブランドは気になっていて、体験版をDLしてはちまちまプレイしてたりしてましたが、忙しくて腰を据えてプレイできる時間が取れなかった&他のことにうつつを抜かしていたりといった理由(言い訳)で未購入でした。

自分がプレイした体験版はカルタグラと殻でしたが、両者とも自分の好みにカッチリはまった印象です。まず、世界設定の良さ。自分が生きてきた時代ではない、本当に知らない、未知の時代設定なゲームやアニメって私は好きで、自分が最高至極とするGOSICKもまた未知の中世ヨーロッパが舞台だったりします。少し話が逸れましたが、とにかく自分は未知の時代設定の作品が好きだということです。その点、カルタグラ殻ノ少女は、時代設定からして自分の好みに合致していたと言えます。両者の舞台は戦後の昭和です。

「戦後の昭和を生き生きと描けている」というのは都合の良い感想でしょうか。たしかに自分自身がその時代を生きてきたわけではありませんし、知っていたとしても文献などで知った極部的な知識しか持ち合わせていません。

しかし、その程度の知識しかなくてもその時代を感じられる。ゲームというフィルター越しで見る中世ヨーロッパや戦後の昭和であっても、「あぁ、中世ヨーロッパだ」「戦後の昭和だ」と思える。実際は知らなくても、分かるんです。そんな感情が沸き起こるのがこの手のゲームの醍醐味だと私は思っています。

かなり話が逸れましたが、 カルタグラ殻ノ少女はそういった世界観が見後に構築されてるんです。まさに、「戦後の昭和を生き生きと描けている」と思えてしまうんです、当事者でもない私が。

それが個人的に感じた、このゲームの魅力で、購入したもっともな理由ですね。

密林で注文したので届くのは二日後くらいですが、今から楽しみで夜も眠れないです。

 

 

おまけ.『上手く時代設定されてるゲームと残念に終わってしまったゲーム』

前者で私が強く勧めるのは、言わずもがな、AIRのSummer編です。1000年前だから平安時代頃でしょうか。”歩く国語辞典”という通称があるらしい涼元悠一さんの渾身のシナリオで、まさに上記のような感情を得られるゲームとしておすすめです。AIRといえば3部構成の最後のAIR編で有名かと思われますが、それを引き立てるSummer編があってこそのAIR編とも言えます。

後者というのが、『ピアノの森の満開の下』というゲーム。大正という舞台設定で、どこか儚い世界観や、それを引き立てるBGMも含めて、自分の好きなゲームです。しかし、「意外ッ!それはテキスト!!」。なんかね、時々現代口調が入るんですよ。その所々の現代風テキストが自分を時々現実の世界へ引き戻してしまって、それが非常に残念でならない。やはり、ライターの技量は大切だと実感します。